Written By: Jun Jokawa
心に残ってしまった、忘れられない作品の記録 。編集部純がお送りします。

ドキュメンタリー『All the Empty Rooms』は、まさにそれを描いた作品です。CBSニュースのスティーブ・ハートマン記者と、写真家のルー・ボップが、アメリカの学校銃乱射事件で子どもを亡くした家族を訪ねていく――そんな内容です。
日本にいると、学校での銃乱射事件なんて、遠い国の話で、どこか現実味がないかもしれません。でも、銃規制がはるかに緩いアメリカでは、それが日常の一部になってしまっている。スティーブが初めて取材したのは1997年。当時は年に17件でした。今では、年に132件起きています。
なんでここまで増えたのか――それはまた別の話です。このドキュメンタリーが描くのは、原因じゃない。サイレンが鳴りやみ、報道のカメラが去ったあとに、何が残されるのか――それを描いた作品です。
| 家のなかで、いちばん自分がむき出しになる場所
ちょっと手を止めて、自分の寝室を見渡してみてください。
何が見えますか。床に脱ぎっぱなしの服。風に揺れるカーテン。ベッドはちゃんと整ってる? それとも、今朝起きた時からそのまま?
家のなかで、寝室って、いちばん「自分」が出る場所だと思うんです。大事なものを置いておく場所。誰かに見せるために整える必要も、取り繕う必要もない、唯一の場所。きょうだいやパートナーがいなければ、ですけど。多くの人にとって、寝室は逃げ場で、自分が本当は何者なのかを、静かに映す鏡みたいなものです。
だからこそ、このドキュメンタリーは、こんなにも胸に刺さるんです。
|「グッドニュースの男」が、もう良い話を語れなくなったとき

スティーブ・ハートマンは、テレビ業界で長いこと「グッドニュースの男」として知られてきました。重いニュースばかりの放送の合間に、ちょっと心が温まる話題を届ける、そういう記者です。でも気づけば、学校銃乱射事件の「その後」を伝える仕事を、何本も何本も重ねていた。そのたびに、前向きな切り口を探して、同じような慰めの言葉を並べて。
そしてある日、それをやめました。
「もう、学校銃乱射事件にポジティブなストーリーを探すのはやめる」と決めたんです。代わりに始めたのが、亡くなった子どもたちの寝室を撮らせてもらうこと。誰かについての記事を読むのと、その人のプライベート空間に実際に立つのとでは、全然ちがうから。部屋は、スマホのようにスクロールして通り過ぎることができない。
最初に彼が足を踏み入れるのは、ドミニク・ブラックウェルの部屋。5年以上前に亡くなった男の子です。部屋中、スポンジ・ボブだらけ。シーツも、ポスターも、棚も。ぬいぐるみがベッドにあふれて、本棚にはフィギュアが並んでる。まちがいなく、男の子の部屋です。
スティーブが洗濯カゴを指さすと、ドミニクのお母さんが言います。靴下と下着だけは洗った。でも、ほかのものは洗っていない。息子の匂いを消したくなかったから。
匂いって、いちばん消えにくい感覚のひとつなんですよね。頭で考えるより先に、記憶に直接届く。ひと呼吸で、その人がまるごとよみがえってくる。それが慰めになることもあれば、閉じかけていた傷を一気に開いてしまうこともある。
| 娘のベッドに、横になる父親

ハリー・スクラッグスは9歳でした。2023年に亡くなった彼女の部屋はごちゃごちゃしていて、色があふれている。自分がこれから何になっていくのか、まだ探している途中の子どもの部屋。明るくて、散らかってて、喜びでいっぱい。
お父さんはスティーブにこう話します。ときどき、娘のベッドに横になるんだ、と。そこにだけ、まだ彼女の匂いが残っているから。
| 麻痺という、静かな暴力
アメリカという国は、集団として、自分たちの子どもが殺されることに麻痺してしまっている――スティーブはそう言います。本当にその通りだと思う。
その感覚、私にもわかります。一時期、毎週のように学校銃乱射事件のニュースを見ていた時期がありました。泣き叫ぶ子どもたちの写真。警察の規制線の前で立ち尽くす親たちの映像。誰かの人生で最悪の一日の写真を眺めて――そのままスクロールしてた。画面を閉じて、夕食に戻ってた。麻痺してたんです。
でも、その麻痺は、悪意じゃないと思う。形を変えた絶望なんだと思います。問題があまりにも大きくて、同時にあまりにも遠い。悲しみに沈む親の前に立って、私たちにいったい何ができるんだろう。
だからこそ、部屋が意味を持つんです。「以前よりも、ずっと痛む」――子どもたちの部屋に立ったときの感覚を、スティーブはそう表現します。それこそが、この作品の核心。これらの寝室は、タイムカプセルなんです。あの子が帰ってこなかった日の姿のまま、時間が止まっている。
| 悲しみは、いつ手を放してくれるのか

グレイシー・ミュールバーガーは15歳、2019年に亡くなりました。学校のダンスパーティーに出かける支度をしていた最中でした。その日に着るはずだったピンクのタンクトップは、今もベッドのそばのハンガーに掛かっていて、きれいに片づいた、静かで女の子らしい部屋のなかで、ゆらゆら揺れている。
お父さんは、グレイシーが未来の自分に宛てて書いた手紙を読み上げます。高校生活が始まることについて綴った手紙。もう存在しない「未来の彼女」への手紙です。
両親は考えます――この部屋を片づけてしまったら、娘は消えてしまうんじゃないか、と。部屋がそのままあるかぎり、まだ彼女はそこにいてくれているように感じる。
心は、いつ、大切な人を失った痛みを手放してくれるんでしょう。それとも、私たちを永遠に人質に取ったままなんでしょうか。子どもの最後の記憶にしがみつく親たちを見ていると、この「遺す」という行為は、牢獄のなかに閉じ込められた彼らの悲しみそのものを映しているんじゃないか、と思ってしまいます。
子どもがたしかに生きていた、その人生を見られることには意味がある。それを国全体が目にすることにも、意味がある。悲劇の代償と向き合わされるから。でも、悲しみのなかをひとりで歩いている当事者はどうなんでしょう。誰かに対して、こう悲しむべきだ、こう悲しんじゃダメだ、なんて言う資格は、私にはありません。それでも、正直に言えば――毎日、わが子を思い出させる空間のなかで生き続けることが、自分にできるかどうか、わからない。
でも同時に、その恐れもわかる気がするんです。部屋がなくなれば、あの子も消えてしまうかもしれない。あの子がたしかにここにいたという最後の証が、一緒になくなってしまうかもしれない。その恐れ。
| 撮る側が抱えているもの

スティーブもルーも、父親です。作品のなかで、彼らが自分の子どもと過ごす場面が差し込まれます。それが、見ていて本当に苦しい。愛している人の未来がどうなるかなんて、結局は誰にもわからない――そのことを、まっすぐ突きつけられるから。スティーブが娘と遊ぶ姿を見ながら、彼の心のどこかに、ずっと低く鳴り続ける罪悪感みたいなものがあるんじゃないか、と思いました。彼は今夜、自分の子どもを抱きしめられる。訪ねたあの家族には、それができない。
その非対称さは、最後の部屋にも重くのしかかります。
ジャッキー・カザレスは9歳でした。2022年に、通っていた小学校で殺されました。
部屋はピンクで、きらきらしている。化粧台にはメイク道具。コスメが雑然と並んでいて、これから輝いていくはずの女の子の部屋だと、ひと目でわかります。
両親は、ジャッキーがクリスティという女性に髪をセットしてもらっているビデオを再生します。「結婚式の日も、クリスティにやってほしい?」と聞かれて、ジャッキーの顔がぱっと明るくなる。うん、と答える。
その結婚式は、もう来ません。自分の闇に飲み込まれた他人が、それを奪ったから。
| 心を砕くのは、いつも小さなもの

家具についた小さな傷。服にできたしわ。机にうっすら積もる埃。置き去りのヘアゴム。蓋が閉められていない歯磨き粉。色あせたおもちゃ。
その一つひとつが、ここにたしかに在った命の痕跡であり――そして、怪物に奪われた命の痕跡なのです。
『All the Empty Rooms』は、答えをくれません。きれいにまとめて終わることもしない。できないからです。この文章を書いている今この瞬間にも、アメリカのどこかで、また次の銃撃事件が起きているか、計画されている。終わりなんて、まだどこにもない。
この作品は、この子たちがたしかに存在していたんだ、と思い出させるために、存在します。うちの子と同じように、散らかった洗濯カゴがあって、くだらないポスターがあって、やりかけのまま置かれた宿題。
スティーブは最後に、こう言います。
「すべてのアメリカ人を、ほんの数分でいいから、あの寝室のどれかに立たせることができたら。きっと、違うアメリカになっているはずだ」
もう一度、自分の寝室を見てください
今、何が見えますか。
もし明日、あなたがその場にいなくなって、誰かがそこに立ったとしたら――説明してくれる人がいないなかで、その人はあなたについて、何を知るでしょう。
自分のいちばん親密な部屋に、何を残したいですか。
あなたがこの世を去ったとき、あなたはいったい誰だったのでしょうか。
