HSPという言葉に救われて、HSPらしさに縛られていた

HSPという言葉に救われて、HSPらしさに縛られていた

Written By: Mizuki Hanano



HSP、ADHD、インポスター症候群、アダルトチルドレン、あるいはMBTI。
最近、SNSを開けば、自分の生きづらさや人間関係の癖に名前をつけてくれる言葉が、次々と見つかります。


自分のなかでは説明がつかなかった感覚にラベルが貼られるとホッとするものです。
輪郭が急にはっきりして、自分を理解できたような気持ちになるから。


私にとっては「HSP」という言葉がそうでした。


「私だけじゃなかったんだ」「無理に変わらなくてもいいんだ」と、ずいぶん救われたものです。
ところがある時、私を救ってくれたはずの言葉で自分を縛っていることに気づいたんです。


| 生きづらさの正体に、名前がついた日


HSPという言葉を知るまで、私は自分のことを「心底面倒なヤツ」だと思っていました。


誰かの顔色を窺っては自分が何かしてしまったのではないかと悩むし、大きな音や声に過剰にびっくりするし、誰かと長時間過ごしたら、絶対ひとりで家にこもる時間が必要。


でも、そんな「心底面倒なヤツ」と思っていた自分の性質に、ちゃんと名前があったなんて。


同じような傾向を持つ人がほかにもいる、私だけじゃないと知ったことで肩の力が一気にフッと抜けました。

しかも、HSPという概念を知ったことで、それにまつわる情報や対策も続々集まってくる。


疲れやすい場面を知って避けれるものは避ける、神経質であることが活かせる場を選ぶ、気乗りしない大人数の集まりは断ることを自分に許す。


同じ性質を持つ人の処世術も参考にしながら、「できない自分」を責めるのではなく「こういう傾向があるなら、こう工夫しよう」と考えられるようになりました。


「HSPだから、こういうストレスを感じるのは自然。それなら、こう避ければいい」

私にとってHSPという言葉は、間違いなく、生きづらさをかなり軽くしてくれたものでした。

 

|「HSPだから」で見送った求人票

 

 

HSPという概念を知ったことで、私は苦手な環境を察知するのが上手くなりました。


「あ、私こういうのダメなんだわ」
「たぶんこの仕事、結構メンタルくるだろうな」


そうやって、前もって心の準備をしたりそもそも避けたりと対策も板についてきたころのこと……
生きづらさが少し緩んだ半面、ふと、何でもかんでも「HSPだから」という言葉で片づけていることに気づいたんです。

 

一番強くそれを感じたのは、転職を考えていたときのこと。


私は、求人情報に「コミュニケーションが活発な職場」「変化を楽しめる方」といった言葉を見つけると、反射的にページを閉じていました。


人と関わる機会が多そう。職場もにぎやかそう。状況が頻繁に変わるなんてしんどすぎる。


「はい、HSPには無理。次。」


そうやってめちゃくちゃスピーディーな書類選考をしてたんですよね。
たしかに過去の経験から「こういう環境では疲れやすい」と判断することは、自分を守るうえで大切なことです。

 

でも、ふと「本当に仕事内容や会社を詳しく見なくてよかったんだろうか……?」と思ったんですよね。


自分が興味を持てるかよりも「HSPに向いているか」だけで可能性を閉じていないかと。


だって、仕事内容や会社、あるいはそこで一緒に働くことになる人たちによっては、HSPにとってはマイナスな環境でも、私にとってはプラスな環境になる可能性はゼロではないし。


人との関わりが多くて、変化に富んだ環境だとしても、それが自分のやりたいことと合致していたら、それはチャレンジしてみる価値はあるはずじゃないですか。


そういう新しい可能性を、いつの間にか「HSPだから」というだけで、自ら手放していたんじゃないかと思いはじめたんです。

 

|「HSPらしさ」からはみ出す私


そもそも、HSPという言葉で救われたことは確かですが、自分の性格が全て「HSPらしさ」に当てはまるわけではありません。


HSPといえば、繊細で控えめ、思慮深くて慎重、表には出ない縁の下の力持ちタイプといったイメージがあるし、実際、私も自分の性質にそう感じる部分は多々あります。


でも仲の良い友だちとはだいたいいつも喋る側(というかまくし立てる側)で、飲み会や旅行では率先して計画してみんなを引っ張るし、私はこっちがいいと自己主張することも結構あります。


大きな音や声に敏感なくせに、その代表格のようなライブも大好き。

 

石橋を叩いた挙句渡らないタイプのくせに、ある日突然、一人で世界一周をしようと決めたり、フリーランスライターを目指したり、そこで?!と自分も周りも驚くところで大胆な行動を取ったりもします。


そんなふうに、自分がいわゆるHSP像からはみ出すたび「あれ?HSPらしくないけど……いいんだっけ……?」と不安になることも。


もう少し控えめでいたほうがいいのでは?
こんな大胆な選択、私には向いていないのでは?
またどこかで特大ストレスにさらされてしまうのでは?


せっかく踏み出した一歩を、自分でわざわざ戻そうとしてしまうのです。


「HSPだから」のひと言で。


でも、振り返ってみると、自分らしさを基準に選んだ世界一周やライターへの挑戦は、不思議と後悔していません。
それもそのはず。


だって、衝動に従って動くって、自分の気持ちに素直ってことじゃないですか。


いつも自分の気持ちは後回しにしがちな私が、珍しく「これをやりたい」という心の声を優先できている。
それって、ものすごく純度の高い「私らしさ」じゃないですか。


でも、HSPらしさを軸に転職先を選別していたときは逆。


ちょっと心が動きつつも、HSP向きではないというだけで見送った求人には、今も「あのとき挑戦していたら、今頃どうだったかな……」という思いが少し残っています。


どうやら私は「HSPらしさ」だけで決めるより「私はどうしたい?」に沿って選んだほうが、その選択に納得できるみたいです。

 


| ラベルの中だけに、自分を収めなくていい

 

 

HSPという言葉は、もちろん今も私を救い続けてくれています。


でも、そういうラベルは、自分を理解するためのあくまで補助線のようなもの。
補助線があることで見えやすくなるものはあるけれど、その線の中だけに自分を収める必要はありません。


だから、何かを選ぶときは「私はHSPだから、どうするべき?」ではなく「私はどうしたい?」というシンプルな質問に変えてみる。


その答えが一般的なHSP像から少し外れていても、自分の心がそちらを向いているなら、簡単に引き戻さなくていいんです。


そもそも人は、たった一つの定義なんかでは説明しきれないものです。
自己理解を深めるための言葉で、自分らしさを追いやっていないか。
たまには立ち止まって確かめてみることも大事だなと思うのです。


ラベルとのちょうどいい距離感を見つけられれば、今よりもっと自分らしさを信じられるようになるのではないでしょうか。

 

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