褒められるほど「頼むから期待しないで」と逃げてきた

褒められるほど「頼むから期待しないで」と逃げてきた

Written By: Mizuki Hanano

 

 

 

「あなたには、任せておけば大丈夫という安心感がある」

「責任感もあるし信頼してる」

「なかなかそういう人材っていないのよ」

そんなありがたいことばをかけてもらうたび、私は心の中でいつもこう返してしまうんです。

「そんな大した人間じゃないのに」

「実はデキない人間ってバレたらどうしよう」

「いっそ期待なんかしなくていいのに」

 

 

褒めことばが、プレッシャーに変わるとき

 


誤解のないように言っておくと、褒められるのはもちろん純粋に嬉しくはあるんです。
特に、自分の仕事がどう見られているのか分からない、評価が見えない不安のなかでやっている状態のときに、ふと「助かってるよ」と言われると「あ、これで良かったんだ」とほっとする。
でも、それが何度も重なっていくと、少しずつ様子が変わってきます。

「なんでもできるね」「丁寧で助かる」「信頼してるよ」

——そう言われれば言われるほど、そのことばは「失敗できない」というプレッシャーに変わっていく。

褒められているのに、なぜかどんどん苦しくなる。

こんな感覚、ありませんか?
その結果、私の場合、ありがたい話も自分の手で遠ざけてしまうんですよね。
世間でいうチャンスらしきものは、これまで何度も目の前にやってきました。

例えば、派遣社員で働いていたときは「正社員にならないか」と声をかけてもらったし、ベンチャー企業では「ボードメンバーにならないか」と誘ってもらったこともあります。
なんとありがたい話でしょうか。

そして私は、それを全て避けてきました。

「全然、私なんて、あれなんで…」

とゴニョゴニョ濁して、断ってきたんです。



「できる自分」を壊せなくなった

 

 

 

あるとき、この感覚に「インポスター症候群」という名前がついていることを知りました。
成果を上げても、それを自分の実力と認められず、「本当は大した人間じゃないのに、周りをうまく騙しているだけなのでは」と不安になる心理のことだそうです。

 

30代女性に多いインポスター症候群とは?原因と10の克服法【心理学で解説】

 

同世代の女性で似たような悩みを抱えている人は多いようで、例えばあのエマ・ワトソンのような世界的なスターでさえ、同じ感覚を告白していたのだとか。


それを知って、少しだけ肩の力が抜けました。


この面倒くさい感覚は、私だけのものじゃなかったんだ、ちゃんと名前がつくほどの心理傾向なんだ、と。

 

 

「できる自分」が標準になってしまうと、いつの間にか、周りのイメージに沿うようなパフォーマンスをすること、期待を裏切らないことが第一になってしまう。

 

 

聞くところによると、この心理に陥りやすいのは、子どもの頃によく褒められていた人が多いのだそう。

……思い当たる節、めちゃくちゃある。

小さい頃から学ぶことは好きだったので、勉強もテストもだいたい得意な子でした。親や先生から褒められることも日常茶飯事。

一方で、ごくたまにいまいちな点数を取ると「え!!どうしたの?何があった!?」と、この世が終わるのかってくらいの反応をされるんですよね。

この「どうしたの?」が、いまだにじわじわ効いているんじゃないかと思うんです。

「できる自分」が標準になってしまうと、いつの間にか、周りのイメージに沿うようなパフォーマンスをすること、期待を裏切らないことが第一になってしまう。

せっかく知的好奇心でゲームのように純粋に楽しめていた勉強が、だんだん点数に追われるようになり、負けたら終わりのデスゲームに変わっていった。

なんだかそんな感覚です。



評価されているのは「無理している私」


 

 

これまで、昇進や抜擢の話を「まだそういう器じゃないから」「今のままがちょうど身の丈に合っているので」と、それらしい謙遜でのらりくらり避けてきました。

でもその裏側の根っこにあるのは、やっぱり「そのイメージを壊してしまったら……」という不安、恐怖です。

抜擢されるということは、より責任のある立場だったり、人をまとめる役職になっていくわけじゃないですか。

 

 

完璧主義に偏っているところがあるので、重箱の隅をつつくくらい丁寧にやりたくなるし、畑違いの分野だとしても、引き受けた以上できる限り力を尽くそうと心がけている。

 

 

そんな重要な役割に就いた自分が、何かしら失敗する場面を想像したら、もうそれだけで恐ろしくなってしまうんですよね。

「え、なんだこの人、この程度だったの?」と幻滅されるんじゃないかって。

そして、最近、評価を受け入れられない本心について、もう一つ気づいたことがあります。
それはみんなが評価してくれている私は、だいたいが"無理な頑張りありき”で成立しているものということ。

そもそも、私が評価してもらえるのは、よくよく考えてみると必然だとも思うんです。
だって、黙って真面目にコツコツ働くんだもん。

完璧主義に偏っているところがあるので、重箱の隅をつつくくらい丁寧にやりたくなるし、畑違いの分野だとしても、引き受けた以上できる限り力を尽くそうと心がけている。

そりゃあ結果として、みんなが見落とすリスクを回避する最後の番人とか、なんか何でもできる人みたいになりますよね。

だけど、その評価を素直に喜べない。

それは、黙って真面目にコツコツ働くことに、私の気持ちはまったくついていってないから
黙って真面目にコツコツ働くのは、あくまでそれが仕事だから。

お給料をもらっている以上、相応の労働力を提供する責任があるから。

ただそれだけだからです。

そんな状態を褒めてもらえたとて、私にとっては「無理している状態」を評価されてるように感じるんですよね。

だから、受け入れたくないのかもしれない。
だから、「頼むからこれ以上、期待しないでくれ」と思ってしまうのかもしれない。

なんなら最近は、内心で「私にばっか期待を押し付ける前に、他の人にも頑張ってもらってよ……」なんて思い始める始末です。

まあ、どれも口が裂けても言わないですけど。
人間だから、常に100%出し続けられるわけじゃないし、間違えたり失敗したりもする。
時には、面倒で手を抜きたくなってしまう日もあります。

それでも「いつか化けの皮が剥がれたら、ヤバい」という不安が拭えないから、とりあえず無理を続ける。

自分の気持ちは一旦置いておいて、”評価された私”を崩さないように頑張る

 

 

褒めことばを、素直に受け取れる日まで

 

 

 

これまでチャンスを断ってきたことを、後悔はしていません。

ただ、もし私自身が「よく頑張ったね」と自分で認めてあげられていたら、降ってきたチャンスをちゃんと掴んでいたかもしれない、と思うことはあります。

無理なく純粋な気持ちで頑張れていたら、褒めことばに「騙している」なんて感覚は湧かないんじゃないかと。

思い返せば、学生時代に好きで楽しくてやっていたバイトは、どれだけハードでも頑張れたし、褒められるのも素直に嬉しかった。

これも任せたいと言われるほど、俄然やる気が出ていました。

そう思うと、今の私に必要なのは、「仕事だから」と責任感をかざして大人のフリを続けることではなく、また「心から頑張りたい」と思える環境を探し求めること。

エネルギーを注ぐ場所を見誤らないことなのだと思います。

インポスター症候群の根っこは、突き詰めるとちゃんと心の声に耳を傾けているかどうかにあるのかもしれません。

 

インポスター症候群は自信の問題ではない——その本質は「自己価値」にある

 

 

 

 
ライター:

花野みずき (はなの みずき)
とにかく「言語化」することを軸に、自身のnoteを中心に活動するライター。

心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」にできると少し落ち着く。目まぐるしく変化する時代でも、地に足をつけていられるよう「ことば」でその道を照らしたい。 

 

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